絶望感から希望を見いだすこと

統合失調症になると、深い絶望感に襲われることが度々やってくる。

統合失調症という絶望

僕の場合は、トイレと布団しかなく内側から鍵の開かない保護室に入れられたとき、「精神分裂病(統合失調症の旧名)」という診断書の文字を観たとき、保護室で四肢拘束されて身動きが取れずオムツまではめられたときが、それに当たる。

保護室で感じた絶望

最初の入院では錯乱状態で保護室に3週間入っていた。

ここが現実なのか夢なのかも分からなかった。

そのうちに落ち着くと、「ここは精神病院で僕は精神病とレッテルを貼られたのだ・・・」と気付いた。

これからの人生では結婚や就職はおろか、社会生活さえ満足に出来ず、家族には見捨てられて一生病院暮らしになると感じてしまった。

22年前の社会的な酷い偏見が僕にもあったのだろう。

今となっては、そういうことはないと分かっているのだけど、当時無知な僕にとっては絶望より深い絶望だった。

統合失調症という診断

そして後に診断書に「精神分裂病」の文字を観たときには、自分が精神障害者というのは紛れもない事実なのだなと感じてしまった。

その現実を受け入れるのがショックだろうからと、統合失調症であっても診断名を告げるのに慎重になっている医師もいる。

自分はきちんと知らせた方が、それを受け入れて対処出来るから、伝えて欲しいとは思うのだけどね (^_^;

四肢拘束とオムツ

3度目の入院で、保護室に入れられたときに、飛び回って頭を壁に強く打ち付けて、流血した。

で、そのまま四肢拘束。

このときも錯乱状態だから何が起こっているのか分からなかったというのが正直な感想だ。

気が付いたら手足を縛られ、身動きも出来ず、もちろんトイレにも行けないから紙おむつをはめられた。

Lineグループでも四肢拘束を経験した方は、その後自信を失ってしまう人が多いが、自分も同じく1年近く経った今でも自信を喪失してしまっている。

特に僕は陽性症状に近いノリノリの状態で過ごしてきての発症だから、最高の状態から最悪の状態に落ち込んだから、その絶望の深さというのは筆舌に尽くしがたい。

「四肢拘束は人権侵害である」と論ぜられるが、四肢拘束は正に精神をコロス。

ただ、これほど自信喪失した経験と、これから自信を回復する過程を考えると、最悪の状態を知っているからこそ分かることもあるだろうし、似たような場面になっても、「四肢拘束に比べたらどうってことない(笑)」とどーんと構えられるようになるだろう。

統合失調症と自信の回復

落ち込んでいた時期は続いていたが、結局自信というのは徐々に回復するしかないんだなと気付いてからだ。

陰性症状で眠るしかない時期から、ちょっとだけYoutubeが観れるようになった、漫画が読めるようになった、ドラマで楽しめるようになった、などちょっとした変化は、回復の過程だ。

昔の自分を100として比較して苦しみ、いきなり100に慣れない自分を否定することは必要ない。

今の自分は-100かもしれないが、1つずつ進むと-99になり、それを繰り返していくと、また100になることも可能だし、それを超えることすらあるかもしれない。

少しずつ着実に回復していこうよ!