統合失調症で掃除できないけど、意識が高まると自然と磨き始める

お寺に生まれたから、一、掃除、二、勤行、三、学問と子どもの頃から育てられてきた。

幼い頃は素直にそれに従ってある程度掃除は出来ていたように思う。

そのために統合失調症になってからも、脅迫観念のようなもので掃除は続けていた。

掃除しない入浴もしない北京の経験

しかし、北京に行って、一、掃除という概念は根本から崩れた。

北京は黄砂で砂にまみれるから、いくら掃除してもすぐに埃まみれになってしまう。

だから、掃除に対する意識は低い。

街全体がゴミ箱で、ゴミは道路にポイ捨てする。

「朝になれば仕事で掃除してくれる人がいるからいいでしょ」と。

また、乾燥気候で、常に水不足だったから、入浴の習慣がない。

夏でも1週間も洗ってない同じTシャツを着ている人もいた。

乾燥気候だから、匂わないし、汗もあまりかかないから不快ではないらしい。

入浴の施設がない家もある。

夏はどこかで水浴びするからいいのだろうけど、冬は?

入らないのだ(笑)

中国に留学した日本人は寮に入浴設備がなく、トイレで毎日洗面器に溜めたお湯で身体を洗っていたという。

そういう経験があり、日本に帰ってきてからは、掃除も全くせず、風呂にもほとんど入らない時期もあった。

汚れが溜まってもストレスを感じなくなり、それを掃除しようと考えることもなくなった。

部屋に引きこもって人に会わないのに、なぜ入浴しないといけないの?と入浴するコンセプトすら分からなくなっていた。

意識が高まると自然と磨き始める

統合失調症になると掃除ができない人も多いだろう。

普通の人にとっては、簡単で、綺麗に磨いた方がストレスないのに、何で掃除しないんだろう?と感じるかも知れない。

そりゃ綺麗に掃除していた方が心はスッキリする。

それは誰でも分かっている。

それでも簡単な掃除すらできないのは、掃除することに多大なストレスを感じることと、汚れていてもそれが問題にならないほど更に大きな心の問題と直面しているからだろう。

最近は生活リズムが整ってきた。

しばらくその生活リズムを保っていると、自然と汚れている部屋を磨き始めた。

脅迫観念でもなく、義務感でもなく、ただ自然と身体が動いて、磨いているようなイメージ。

それは、もしかしたら理想的な心の在り方なのかもしれない。

職人の世界では「掃除が出来て一人前」という言葉があるそうだが、それはきっと意識が高まると自然と心が磨かれ、それが現実にも投影されて、掃除に繋がるということではないだろうか。

統合失調症になる人はもともと意識が高すぎて、その意識の高さに自分が追いつかずに発症してしまった人も多いように感じる。

それは、実は悪いことではない。

闘病期間は長く辛いが、それだけ長い間普通の人が考えないようなことを試行錯誤する時間があるということだ。

そしてやがて、その意識の高さを受け止めるだけの器が出来あがるときがやってくる。

苦しみが大きければ大きいほど、やがて振り子逆に振れたときには、高みにたどり着ける。

そうなると、後は自分を高いレベルで磨いていく時期だ。

統合失調症からの回復は、普通の病気に比べて長い時間が必要だが、理想的に回復すると、普通の人ではたどり着けないような高い意識レベルになり、それが現実に投影されて、自分の周りの世界を急激な勢いで好転させることが出来るようになるということだ。